弘法大師

あなたのが心が暗闇であれば、

出会うものはことごとく禍となります。

あなたの眼が明るく開かれていれば、

出会うものはすべて宝となります。

正しい道は遠くにあるものではありません。

あなたの心ひとつで目の前に開かれるものです。

 

弘法大師

一切経開題

 

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こちらが相手を好きになると、相手も必ずこちらを好きになってくれる

こちらが相手を嫌いでいると、相手も必ずこちらを嫌ってくる

ふだん私たちはほとんどのことを他人のせいにするが

身の廻りに起こることすべて自分に原因がある

 

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私たちは目に見えるそのままの姿をほんとうのものとしてとらえているが

あるがままにものごとを見ているのではなく、いつも自分の目にフィルターをかけるようにしてものごとを見ている

あるいはちょうどコウモリが暗闇で自ら音波を出して跳ね返ってきたものを識別しているように、自分から人や物に働きかけた結果を見ている

あなたの眼が明るく開かれていれば…

というのはそのフィルターを通さずに物事を見ることができるようになることで

観世音菩薩の  観自在菩薩の  観…観る…というのはそのような意味だろう

見る...ではなく

視る...でもなく

自在に観ること

 

眼耳鼻舌身意…以前授業で五感の話をしている時に

英語の  good-better-best.   原級-比較級-最上級

同じ意味で    見る -  視る - (      )

                      聞く -  聴く - (      )

最上級の漢字はなに?

と聞いてみると、クラスに一人くらい答えた生徒がいた

中には一度、驚いたことに「観音さまの  … 観  」と答えた生徒がいた

 

 

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春の華、秋の菊、笑って我に迎えり。

暁の月、朝の風、情塵を洗う    

 

性霊集

 

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菩薩の用心は皆、慈悲を以って本とし、

利他を以って先とす   

 

秘蔵宝鑰

 

 

三界の狂人は狂わせることを知らず。

四生の盲者は盲なることを識らず。

生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、

死に死に死に死んで死の終りに冥し。

 

秘蔵宝鑰

 

日々新

苟  日  新

日  日  新

又  日  新

 

苟(まこと)二日二新タナリ

日々新タナリ

マタ日二新タナリ               

 

「  大学  」

 

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殷の湯王の自戒として有名な言葉である

 

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以前経済界では活躍された土光敏夫さんが座右の銘とした言葉らしく

「今日なら今日という日は、天地開闢以来はじめて訪れた日である。それも貧乏人にも王様にも、みな平等にやってくる。そんな大事な一日だから、もっとも有意義に過ごさなければならない。そのためには、今日の行いは昨日より新しくよくなり、明日の行いは今日よりもさらに新しくなるように修養に心がけるべきである」

という意味....とある。

 

ただ、この言葉は生命の本質をも語っているように思う。

 

 

5、60兆から成る我々の細胞も

日々、死に、また生まれることによって生命は維持されている

それゆえに私の命というものも

ただ肉体のみの存在ではない

個体も、種も、そして生物界も

さらに自然界全体が日々生まれ変わっていく

生命のそして自然の在り様を正しく言っている 

 

左右内の一本スギと弘法大師

一に焼山、二にお鶴、三に太龍  と言われる四国遍路の難所。12番焼山寺、20番鶴林寺、21番太龍寺を指すが、決して体調も良くなく、果たして山奥の焼山寺に辿り着けるのかと朝早く11番の藤井寺を出発したが、徐々に天気は崩れ、霧雨の中を歩くようになった。焼山寺への山道は始め徐々に登り、偽のピークに騙された後、ようやく最初のピークに辿り着き、すぐに下り、またすぐ登り返して浄蓮庵のピークまで登り、さらにまた下って左右内の集落まで降りた後、最後の登りでようやく焼山寺に辿り着く。それぞれの標高は600から750mくらいだが、アップダウンばかり続くのでずいぶんと疲れる。行程中の最高所である浄蓮庵のピークへは霧雨に濡れてようやくたどり着いたが…

最後の階段の登り口で…

「うぉー!」思わず大声を出してしまった!ほんとうに声を出した、というか自然と出た。

階段の上に弘法大師がおられたのである。声を出した通り、本当に驚いた。

この浄蓮庵への最後の道は、つづら折りの山道を経てようやく最後の石段へたどり着くが、この石段への道が

最後に 急に右に折れ曲がっている。右を振り向いて急な石段を仰いだ途端に弘法大師がおられるのである。そしてそのすぐ後ろに左右内の一本スギと呼ばれる樹齢600年ほどの枝ぶりの見事なスギが生えている。

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もちろん弘法大師銅像だった。遍路の寺はどこにも大師の銅像があったように思う。ただ、随分と疲れてようやく霧雨の中をたどり着いた途端にあの光景に出逢うと、大師に出逢えた…と思ってしまう。多くの人があの道を辿ったはずだが、同じ思いの人がきっといるのではないかと思う。

浄蓮庵で少し休んだ後、左右内の集落まで下り、最後に辿り着いた焼山寺の境内は霧に包まれて、巨木が立ち並ぶ中、とても落ち着いた場所だった。

 

焼山寺のスギ

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焼山寺境内

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焼山寺から

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湖北

27歳の年に湖北の高校に初めて赴任して以来、湖北は好きな土地になった。古くからのしきたりとかもあって保守的な土地なのかもしれないが、なぜか相性が合うように思える。勤務したのはたったの三年間だったにもかかわらず、いまだに多くの方と交流をもたせてもらっている。

以前ある人に、湖北は賎ヶ岳や姉川の戦い小谷城の戦いなど戦ばかりがあって先祖の方は苦労されたんでしょうね、と話したら、その度に観音さんを土に埋めてまで守って信仰を大切にしてきたんや・・と話しておられた。そのことを誇りに思っておられるのだろうと思う。以前は伊吹の中腹や己高山などに多くの寺院が立ち並び、昔から信仰の盛んな土地だった。今は観音の里という表現をされている。

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もう二十年ほどになるか、ある時から般若心経を唱えるようになった。仏教のもっとも深いエッセンスをまとめた経だが、このお経には観音菩薩が出てくる。

私は浄土真宗の檀家の家に生まれ、実家の隣は真宗の寺だった。小さい頃によく境内や本堂で遊ばせてもらった。本当にありがたい環境で育ててもらったと思う。

アメリカへ行った二十代の頃に仏教をよりどころにすればいいと気づき、それ以来、釈尊親鸞日蓮道元良寛白隠空海など多くの宗派の本を読み、お経を読み、寺に行ったりもしたが、ほんとうのよりどころは何なのかもうひとつわからなかった。ただ、いまは生まれ育った真宗の信仰ではあるものの、観音の信仰でいいように思っている。自然と般若心経を唱えるようになり、十句観音経を唱えるようになった。多くの観音や地蔵菩薩のおられる湖北もその縁かもしれないと思っている。

白内障

数年来、右目はほとんど見えていなかった。視力の回復は無理かもしれないと思いつつ先日白内障の手術を受けた。ありがたいことに、思いもかけずある程度の視力は戻ったが、手術後数日して落ち着いて周りを見渡してみると、手術した右目の視野では色が鮮やかに見えるし、白などは真っ白に、青や紫などは光るように見える。あまりにもおかしいと思い、眼科医に尋ねると、それは手術した右目の方が正しい色に近いと言われた。色というのは物理現象でなしに、感覚の問題だと聞いたことがある。捉え方の問題で変化するものだと・・。おそらく今見ている光るように感じる色彩は徐々に変化してやがて落ち着くのかと思う。

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眼耳鼻舌身意・・よくいう五感と意識を含めて仏教では六感、あるいは六根という。確かに感覚というものはあてにならない。眼に見えないものを大切にしなさい・・というのは本当のことだと思う。

焼き場に立つ少年

誕生日のニュースの中の一枚の写真に衝撃を受けて涙が止まらなかった。私の誕生日は長崎の原爆祈念日である。

『焼き場に立つ少年』

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原爆投下後の長崎でジョー オダネルというアメリカの従軍カメラマンの方が撮られた写真で、「幼子の亡骸を火葬にする順番を、歯を食いしばって待つ様子をとらえた」・・とある。またオダネルさんはこう記している。

「(弟の火葬にされる)炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいる」「少年があまりにきつくかみ締めているため、血は流れることもなくただ少年の下唇に赤くにじんでいました」

一枚の写真にこれほどの力があるということを初めて知った。

これほど涙が止まらないのは、悲しみ・・というより、また原爆や戦争に対して・・という以上に、人間の存在の悲しみ・・というか、すごく深いところで魂に働きかけてくる、ほんとうに魂が揺さぶられるものがあるからだろう。あまりにも衝撃を受けて、誕生日の夜は寝ることができなかった。

 

ずいぶんと以前、宮沢賢治の「ひかりの素足」という話を読んだとき、あの時も体がガタガタ震え、声をあげて大声で泣いたことがあり、この写真を見たときと同じような経験をした。

峠を越えようとする幼い兄弟が吹雪に遭い、弟の方が亡くなってしまう話で、この少年の場合と似ているところがあるが、このお話では、光りかがやく足の地蔵菩薩が子供を救ってくれる。宮沢賢治のこの話には、あまりにも残酷なこと、そしてそれに対するほんとうの救いが書いてあった。

 

若い頃、アメリカを放浪していたとき、サンフランシスコにおられた花岡先生のお世話になった。教会の牧師をしておられた先生のところへ、アメリカへの入国時、各地を回って帰ってきたとき、そして帰国時などに家に寄っては、支えていただいた。いつだったかあるとき、ショパンの「別れの曲」を知っていますかと問われたが、当時はそれまで聞いたこともなかった。LPレコードを聴かせてもらったがすごく綺麗な曲だった。先生は、「以前はこの曲を聴くたびに涙が出て止まらなかったのです・・ある日、日本に帰った折、兄に偶然そのことを話すと、それは母の葬式の時に繰り返し繰り返しその曲が流れていたからだよ・・」と教えてもらったそうだ。先生は三歳の時にお母さんを亡くしておられる。

去年、再度アメリカを訪れた折に、先生のところへ若い頃のお礼を言いに行こうと、先生の住所なり教会なりを調べて見たが、本当に残念なことに先生は亡くなっておられた。ただ、その時に先生の生い立ちのようなものが書いてあるものが目に止まって・・

先生は母親ばかりか、お父さんや、お兄さんと言われていた兄弟もその後全て亡くしておられた。神奈川で生まれ育たれたとばかり勝手に思い込んでいたが、おそらく先生は長崎で生まれられている・・。そしてご家族は皆、即時ではないが、原爆のために亡くなっておられることがわかってきた。おそらく原爆投下時に先生は一、二歳だったかと思う。先生は牧師の家に生まれられたのだとばかりおもいこんでいたが、お母さんやお父さんを亡くされた後、どのようにして牧師になり、しかもアメリカへ行かれたのか?いつか墓参りに行きたいと思っている。

あの時以来、今まで、せいいっぱい生きてきたつもりではある。ただ、この少年の写真を見ると、生きる上でほんとうに大切なものを思い起こさせてくれる。 なんのために生を受けてきたのか、残りの人生を大切に生きねばと思う。花岡先生はほんとうにせいいっぱい生きぬかれたと改めて思う。

 

 

 

 

 

 

イヌワシ

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過去にイヌワシは一度しか見たことはない。随分と以前、伊吹山のお花畑を歩いていた時に、南側の崖の上に現れて、しばらく旋回したのち南西尾根の方へ滑るように飛んで行った。『風の精』と呼ばれる意味がその時によくわかったし、あのような飛行をする鳥は初めて見た。滑るようにという表現しかできないが、ほとんど翼どころか羽すら動かしていないのではないかと思えるような飛行だったように思う。少なくとも羽ばたいてはいない。一度見てもらえればわかる・・と以前から聞いていたが、確かにこの目で見ると引き込まれそうな凄さを持っている。若い頃から山を歩き、主に植物を見てきたが、イヌワシと同じ感動は以前話したグランドティートンを初めて見たときのものと同じように、またそれは植物で言えば、高山でコマクサやウスユキソウに出会えたときのものと同じようにも思える。鳥で言えばトビ、山で言えば家の裏山、植物で言えばハコベでも同じだろうに感動が全然異なる。共通して言えるのは人を寄せ付けないような常に厳しい環境にそれらのものがあるということ。そして、それらを感じ取る感覚はもともと自分の中に備わっているように思えるし、古来、日本で岩や大木を神として祀ってきた感覚と同じだろう。アイヌ民族も、ネイティブアメリカンも同じものを大切にしてきたはずである。

近頃は登山ブームでどこへ行ってもすごい数の人たちに出会う。山小屋など驚くほどの人が押し寄せるし、私以上の高齢者が驚くほど多くなってきた。昔のように静かにひっそりと山歩きがしたいと思うことがよくあるが、これらの人々が山に押し寄せる理由も同じだろうと思う。『なぜ山に登るのか?』と決まり文句のようによく言われるが、その理由も同じかと思う。そこに神がおわすから・・と答えた人がいたが、皆自分の中に持っているものだろう。

人生の中でそのことを感じ取る経験は大切なこと、生きていく中で最も大切なことに思える。

 

コマクサ(ケシ科)乗鞍岳にて

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コマクサ(ケシ科)秋田駒ヶ岳

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